みなさん、こんにちは!マネージャーです。
今日も つれづれなるままに
コーヒーの品種 アラビカ種 についてのお話です。
エチオピアからイエメンに渡り、商業的に栽培されるようになったアラビカ種のコーヒー。
そのころイエメンを支配していた トルコ は、コーヒーの苗木の持ち出しを禁止し、
コーヒー栽培を独占していたそうです。
ところが、そのトルコから、コーヒーの苗木を持ち出した人々が・・・。
それは、
オランダ東インド会社
でした。
1658年のことです。
日本では 江戸時代の徳川家光のあと 4代将軍家綱 のころです。
コーヒーの苗木を持ち出した オランダ東インド会社。
植民地としていた セイロン島(いまのスリランカ) に持っていき、
コーヒーの栽培に成功します。
セイロン島、ここです。
↓
インドの下ですね。
セイロン といえば セイロンティー
と
紅茶で有名な場所ですが、
実はもともとは コーヒーの栽培 が中心でした。
信じられないですが、本当のお話です。
コーヒー生産国だったセイロン島ですが、
さび病 という コーヒーの病気が蔓延し、島のコーヒーが全滅。
その代替品として、紅茶がつくられるようになり、今にいたっています。
で、そのセイロン島 から インドへ。
そこから、インドネシアのジャワ島 に持ち込まれ、栽培に成功したのでした。
ジャワ島 、ここです。
↓
オランダ東インド会社は、
植民地としていたインドネシアで栽培したコーヒーを、
自国であるオランダのアムステルダムに持っていきました。
こうして、エチオピアの地から アジアまで広がって行ったコーヒー。
世界の他の地域には、どのように伝わっていったのでしょうか?
続きはまたの機会に♪